週末のテニススクール。いつものようにボレーの練習をしていたその瞬間、私の左ふくらはぎに石が当たったような、あるいは誰かに後ろから強く蹴られたような衝撃が走りました。振り返ってもそこには誰もおらず、私はその場に崩れ落ちました。足を引きずりながら何とかベンチに戻り、アイシングをしましたが、痛みは引くどころか、みるみるうちにふくらはぎが腫れ上がり、皮膚の色が紫に変色してきました。当初は「ひどい足のつり」かとも思いましたが、あまりの異変に妻の運転で夜間対応の整形外科へと向かいました。病院の待合室で待っている間、私は「もう二度とテニスができないのではないか」という言いようのない不安に包まれていました。診察室に入ると、医師は私のふくらはぎを優しく、しかし確実に触診し、すぐにエコーのモニターを私に見せてくれました。そこには、筋線維の走行が一部途絶え、暗い影として写る血腫がはっきりと映し出されていました。診断は、ふくらはぎの内側頭における「肉離れ」の第2度、つまり部分断裂でした。医師は淡々と、しかし丁寧に説明してくれました。筋肉がどれほど引き裂かれ、どの程度の期間をかけて修復していくのか。そのロジックを聞くうちに、漠然とした恐怖が「治すべき目標」へと変わっていったのを覚えています。病院での処置は、患部を圧迫固定し、松葉杖を借りることから始まりました。最初の1週間はとにかく安静を命じられましたが、病院を受診したことで最も救われたのは、回復に向けたロードマップを提示されたことです。2週間後からはリハビリを開始し、硬くなった組織を段階的にほぐしていくこと。4週間後には軽いウォーキングから再開すること。こうした具体的な指標があったからこそ、私は焦ることなく治療に専念できました。また、病院では栄養面でのアドバイスもあり、筋肉の材料となるタンパク質を意識的に摂るように言われました。結果として、私は3ヶ月後に再びコートに立つことができました。もしあの時、病院に行かずに「そのうち治るだろう」と湿布だけで済ませていたら、今頃ふくらはぎは硬く縮まり、再び全力で踏み込んだ瞬間に再発していたに違いありません。病院を受診するということは、単に怪我の名称を知るだけでなく、自分の身体がどのように壊れ、どのように再生しようとしているのかを科学的に理解するプロセスでもありました。あの日の「ブチッ」という音は、私の身体が発した「休養とメンテナンス」のサインであり、それを医療の力で正しく受け止められたことが、私のスポーツライフを救ってくれたのだと確信しています。