ある日の午後、右目にゴミが入ったようなゴロゴロとした違和感を覚えたのが全ての始まりでした。翌朝、鏡を見た私は恐怖で声が出ませんでした。右目がまるでボクサーに殴られたかのようにパンパンに腫れ上がり、大量の黄色い目やにが睫毛を固めていたからです。急いで眼科を受診したところ、診断はアデノウイルスによる「流行性角結膜炎」、通称はやり目でした。この病気はアデノウイルスの中でも特に眼の粘膜に対して強い病原性を持つ型が原因で起こります。医師からは「非常に感染力が強く、学校保健安全法でも登校・登園停止が定められているレベルの病気です。大人も当然、仕事には行けません」と厳しく言い渡されました。その言葉通り、数日後には左目にも転移し、両目が開かないほどの状態になりました。光を極端に眩しく感じ、部屋のカーテンを閉め切って暗闇の中で過ごす日々が続きました。目薬としてステロイドや抗菌薬が処方されましたが、これらはウイルスを殺すのではなく、二次感染を防ぎ炎症を和らげるためのものです。ウイルスそのものが消滅するのを待つしかないという事実に、もどかしさを感じました。特筆すべきは、治りかけた頃に角膜に点状の濁りが現れたことです。視力が一時的に低下し、霧の中にいるような見え方になりました。医師は「これがアデノウイルスの後遺症です。適切に目薬を続けないと、この濁りが一生残ることもあります」と警告されました。幸い、数ヶ月の継続的な治療により視力は回復しましたが、目の病気がこれほど生活に支障をきたすものだとは思いませんでした。家事を行うにも、指先に付着したウイルスがタオルやドアノブを介して家族にうつらないか、常に消毒液を持ち歩く日々でした。特にお風呂は最後に入り、浴室の壁や床を熱いシャワーで流す徹底ぶりが求められました。大人が流行性角結膜炎にかかると、最低でも2週間は仕事が制限されます。パソコン作業がメインの現代人にとって、目が使えないということは死活問題です。医師の助言によれば、初期の段階で「ただの結膜炎」だと自己判断して市販の目薬で済ませてしまうことが、症状を長引かせ、周囲への拡散を招く最大の要因だそうです。少しでも目が赤くなり、尋常ではない量の目やにが出た場合は、迷わず専門医を受診し、厳格な隔離生活を送ることが、自分自身と社会を守る唯一の手段なのです。アデノウイルスは私たちの視界すらも容赦なく奪い去る、極めて厄介な存在であることを、この体験を通じて深く理解しました。
目が開かないほどの目やにに襲われた流行性角結膜炎の恐怖と専門医の助言